プロフィール・経歴
profile
教育現場と家庭、そして地域に根ざして歩んできた高橋なみこのこれまでのあゆみをご紹介します。

たかはし なみこ
高橋 菜⾒⼦
はじめまして。高橋なみこです。
教育の現場で17年間、そして4人の子どもの母としての日々を通じて、当事者の声の大切さを実感してきました。
子どもたちのまなざし、親としての葛藤、地域での何気ない会話
――そうした日々の積み重ねが、今の私の原点です。
これまでの経験を活かし、加賀市の未来を皆さんと一緒に考え、歩んでいきたいと思っています。
経歴・エピソード
- 1984年(昭和59年)
- 1984年4月19日生まれ
父は加賀市民で、母は小松市出身。
父は民謡の唄を、母は津軽民謡の三味線と踊りを教えていたことから、音楽に囲まれて育つ。
幼少期から好奇心旺盛で、外遊びや読書が大好き。
おじいちゃんの豆知識も知的好奇心に作用した。 - 1997年(平成9年)
- 加賀市立庄小学校 卒業
- 2000年(平成12年)
- 山代中学校 卒業
- 2000年代
- 不況の煽りを受け、厳しい家計の中での生活を経験。
それでも、進学させてもらい、学ぶことの大切さを実感。 - 2003年(平成15年)
- 石川県立小松高等学校 普通科 卒業
- 2007年(平成19年)
- 金沢大学教育学部 教員養成課程 音楽教育コース 卒業
- 2007〜2008年
- 学校図書館、塾、音楽施設、結婚式場を掛け持ちで勤務。
非正規雇用の厳しさを身をもって体感。 - 2008年(平成20年)
- 加賀市立河南小学校 講師
加賀市立橋立小学校 講師 - 2010年(平成22年)
- 小松市立芦城小学校 教諭
- 2015年(平成27年)
- 加賀市立分校小学校 教諭
- 2023年(令和5年)
- 加賀市立橋立小・中学校 教諭
加賀市の教育ビジョン「Be The Player」に共鳴し、時代に合った授業や生徒指導を実践。
教育活動は県内外からも注目された。 - 2025年(令和7年)
- 退職・任意団体「MIN KAGA」設立。
生まれ育った加賀市への恩返しを目指し、市政への挑戦を決意。
生い立ちと学生時代
1984年4月、加賀市民の父と小松市出身の母のもとに生まれました。長い陣痛の末に生まれたので、さぞ大きな子だろうと父は思ったそうですが、2,480gの未熟児でした。
両親は日本民謡の伝承や舞台に関わっており、幼い頃から音楽と人の声に囲まれて育ちました。祖父母も同居で、母は献身的に家の中を支えていました。
外遊びや読書が大好きな子どもで、木登りや泥遊びなどに熱中していたことを今でも覚えています。祖父は生き物や植物のことをいろいろと教えてくれ、知的好奇心がどんどん育ちました。
教員としての日々
大学卒業後、知的好奇心の塊だった私は、学校図書館、塾、音楽施設、結婚式場など様々な場所で働きました。そこでは、どんなに掛け持ちしても、一日中働いても、経済的・社会保障的な安定を得られない「非正規の現実」を経験しました。
その後、加賀市や小松市で小・中学校の教員として教壇に立ち、17年間子どもたちの育成に関わらせていただきました。
近年は、加賀市が掲げる教育ビジョン「Be The Player」のもと、子ども一人ひとりが主役になれる授業づくりに率先して挑戦しました。
そして、これまでの学力至上主義に疑問を抱き、教員の働き方にも向き合いながら、県内外からも注目される教育活動を積み重ねてきました。
家庭と子育て
私には4人の子どもがいます。
母として、子育ての楽しさも、想像以上の忙しさも、折に触れ訪れる不安も、肌で感じています。
教育の現場と家庭、両方の立場から見えてきたのは、制度や支援の偏り、そしてなかなか届かない声の存在です。
それらを何とかしたいという思いが、私の原動力です。
現場の声を届けるために
女性の声は、女性にしか届かないと感じたのは、ほんの最近です。
教職員として労働環境の改善に関わる役目を頂いたとき、たくさんの女性の声が寄せられたことをきっかけに、そう思うようになりました。
当事者の思いに共感し、声を届けられるのは同じ当事者だからこそ。
多様な市民の声は、市政に届いているのかな?
女性、教育、福祉といった大切な視点での議論は活発にされているのかな?
子どもたちの未来、地域のつながり、ひとりひとりの暮らし。
どれも大切にしながら、加賀市で「聴くことから始める活動」を実現していきたいと考えています。